プリヴェート!(こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうづま)やってます。
今回は、ロシアの建築様式と歴史について、
建築素人の人でもわかるように紹介します。
なので、建築に詳しい人はスキップしてくださいね。
モスクワの楽しみって、グルメ、芸術、街歩きは外せないよね
でも街歩きしていて、ホントに素敵な建物が多いんだけど、
建築に疎いワタクシには全くその背景がわからず
ただただ
綺麗だな~ とか
大きいな~ とか
いって写真を撮るだけだったんだよねぇ。
そしたら、旦那が
「建築を少しだけでも勉強すると、より見てて楽しくなるよ」
って言うもんだから、
ホントにちょっとだけ調べてみた
ちなみにそれぞれの建築様式のときの時代はこんな感じ
では、それぞれの建築の勉強を始めましょ!
- オールド・ロシア :モスクワ大公国やそれ以前
- バロック~ロシア・モダン :ロマノフ王朝
- 構成主義~ソヴィエト・スタイル :ソ連
- ポスト・ペレストロイカ~ :ロシア
オールド・ロシア 10世紀~17世紀

キリスト教への改宗を、きっかけに普及した石造建築
石造りで、白壁、上に玉ねぎ
的なのが特徴だけど、
もちろん例外もあるかな
ワシリー寺院とかって白壁じゃくてカラフルだしね
時代はキエフ・ルーシから諸公国時代、
モンゴル支配の「タタールのくびき」を経て
ロマノフ王朝の初期までだね
タタールのくびきの期間に、モンゴル人の侵攻でかなり破壊されちゃったんだけど、
黄金の環の各都市やノブゴロドなどには、
破壊を免れた建築が残っているね
モスクワだとワシリー寺院やクレムリン
コローメンスコエのヴォスネセーニエ教会とかっていうのが代表作かな
このあたりは、タタールのくびきから解放されたあとに、
国家の威信をかけて首都にふさわしいシンボルとして建築されたものが多い
ワシリー寺院は対モンゴルの戦勝を記念して国家の威信をかけて建築したものだしね
バロック 17世紀~18世紀

一言でいえば、豪華絢爛!
18世紀にピョートル大帝によって、
ペテルブルグが建都されて首都になったんだけど、
この18世紀はちょうどヨーロッパではバロックが絶頂期!
ロシアは当時ヨーロッパの後進国で、
ヨーロッパを模倣したかったので、
ペテルブルグは、それ以前のロシアと全くことなり
バロック全開で建築された
代表作は冬の宮殿・エルミタージュ美術館
まぁわかりやすい豪華さだね
この辺りは17世紀のイタリア・バロックの傑作も凌ぐと言われてる
このバロックの時代は18世紀中旬まで続いて、
ロマノフ王朝のピョートル大帝 ~女帝エリザヴェータ ~エカテリーナ2世
の頃だね。
モスクワではこの時代の建築でいいのがないのがホント残念
ロシア・クラシシズム 18世紀~19世紀

ヨーロッパでバロックが衰退して、
絶対王政の象徴でとにかく派手だったバロックから
ギリシャ時代の古典建築に回帰して、
新たな建築技法で、古典的な建築をする新古典主義が流行
古代ギリシャ建築の特徴でもある、
いくつもの太い柱が屋根を支える列柱構造や、
その上の三角屋根(ペディメント)
なんかを模して昔のギリシャ宮殿のような建築が建てられた
この時の様式がロシアでは、ロシア・クラシシズムだね
ロシアではもともとギリシャ時代の建築はないんで、
ギリシャの宮殿風の建築を見かけたら、
だいたいこの時期の作品の可能性が高いよ
もちろん本物の古代ギリシャ建築とは異なって
列柱無しで建物をさせる建築技術が既にできているんで、
表面の列柱は飾りなことが多いね
モスクワだと、ボリショイ劇場
サンクトだと、カザン大聖堂や聖イサク聖堂
なんかがわかりやすいね
モスクワ建築大学は、
構造がロシア・クラシシズムで
装飾がロシア・モダンというミックスだね

折衷 1830年代~1910年代

1830年代に入り、ロシアもロマノフ王朝のもと資本主義化していくと
ロシア・クラシシズムは個性がなく画一的なんで急に不人気に・・・
新しい時代が選んだのはその名も「折衷」!
つまり何でもありのごちゃまぜ建築
特定の様式に従わず、実質的に世界中の建築の全てを
活用するという手法で、素材もフォルムも自由
この時はロシアだけでなくヨーロッパ全土で折衷が流行った
モスクワだと、保険会社「ロシア」の集合住宅が代表だね
散歩しながらこの建物を見るなら→ スリェーチェンスキー修道院と中央市場
ネオ・ロシア 1830年代~1910年代

折衷と時を同じくして、折衷様式の枝分かれとして形成されたのがネオ・ロシア
ロシア民族芸術への回帰して、
オールド・ロシアの様式を評価し、
それを発展させた
この時代の建物は、歴史的な息吹を感じつつも、
建物自体は鉄筋コンクリートも使って建てられている
なので、モスクワで巨大建築で、かつ歴史的な雰囲気があるのは
この時代の作品が多い
時代としても対ナポレオンの祖国戦争に勝利した後で
国威掲揚のためにロシアの伝統を取り入れた新たなモニュメントの建築ニーズもあったしね
代表的なのだけでも
クレムリンの宮殿
赤の広場にあるグム百貨店と歴史博物館
救世主大聖堂
と枚挙にいとまがないね

ロシア・モダン 1910年代~1920年代

ヨーロッパ全土でなんでもありの折衷に対する批判が沸き起こり、
折衷を批判する形で
ロシアでは新たな建築様式ロシア・モダンが開花する
時はロマノフ王朝最後の皇帝
ニコライ2世の治世
まさに激動の時代だね
建築家が個人的な感情や思い入れを自在に発揮し、
表現力に満ちた創作を競った
それまでロシアではほとんど使われなかったステンドグラスを多用したり
外壁にモザイク画を加えたり装飾したり
ちょっとファンタジー的な作品も多いんだよね
ロシア・モダンの集大成としてはもちろんホテル・メトロポール
天井の大ステンドグラスなんかはわかりやすいね
構成主義 1920年代~1930年代

ソ連建国初期に急に花開き、そしてスターリンに否定され、
わずか10年で散っていったのが構成主義
前のロシアモダンと、その後のスターリン・アンピールにはさまれて
強烈な異才を放っている建築群がある
装飾は一切行わず、
建物の構成体としての構成美と空間美で勝負する
男らしい建築!
ファサードも装飾せずに
その造形美で目立たせてり、すごい良く考えている
全く派手ではないし、
よく見ないとただの古い建物かと思ってしまうことも多いんだけど、
よく見ると形そのものが凝っている
代表作は、アルバート通にある
構成主義建築家の巨匠メーリニコフの自邸(↑の写真だよ)
散歩ながらこの建物を見るなら→ アルバート通り
あとはロシアで唯一、ル・コルビュジエが設計した、
ロシア統計委員会もぜひ見て欲しい

散歩ながらこの建物を見るなら→ スリェーチェンスキー修道院と中央市場
スターリン・アンピール 1930年代~1950年代

幻となったソヴィエト大宮殿設計のコンペをきっかけに、
革命後の新国家にふさわしい建築様式として
スターリンに採用されたのがこのスターリン・アンピール
モスクワを歩いていたら、嫌でも目に入るし、
ある意味、モスクワ名物になってるセブンシスターズの時代だね
象徴性の強い建築モニュメントを残すことを目的として、
国民をあげて未来の殿堂づくりに励んだ
セブンシスターズはモスクワっ子の中でも好き嫌いが分かれる存在なんだけど、
少なくても当時は国威掲揚に寄与したし、
このプロパガンダ的な建築が
第2次世界大戦でダメージを受けた国と国民を復興に向かわせ
20世紀の大国に引き上げた牽引力になったのは事実だね

散歩ながらこの建物を見るなら→
モスクワ大学と雀が丘
ラディソンホテルからノーヴィ・アルバート通り
アルバート通り
ソヴィエト・スタイル 1950年代~1990年代

スターリンの死後に新たな国家主席となったフルシチョフは
個人崇拝の否定に取り組んだ
スターリン・アンピールを「飾り立てを好む、エセ英雄主義と壮大主義」
と完全批判
「国民の大部分が貧相な家屋に住んでいるのに、これ以上宮殿は建てない」
と発言し、一般市民にアパートを供給する国家的プログラムがスタートした
ローコスト・大量生産
主な作品も共同住宅が多く実用的
その反面、観光的に見て面白い作品は限られるね
代表作はロシア連邦政府ビル(ホワイトハウス)
確かにホワイトハウスは建物は巨大で存在感あるけど、
華美な装飾はないしソヴィエト・リアリズムの結晶だね
散歩ながらこの建物を見るなら→
ラディソンホテルからノーヴィ・アルバート通り
ポスト・ペレストロイカ 1990年代~

ペレストロイカからソ連崩壊を経て現在に至るまでの
新たな時代の建築様式
ソ連時代は社会主義で大学の建築学の教授たちは
2足のわらじを禁じられていただんでけど
ソ連崩壊でこぞって建築設計事務所を立ち上げて
私財をなすべく尽力した
ただ、ソ連時代に数十年にわたり世界の建築から隔離され
建築技術も精度が低く、
完全に世界の現代建築のレベルから取り残されてしまっていた・・・
試行錯誤しながら、構成主義を再評価してみたり、
セブンシスターズをまねたスターリン・アンピールを作ってみたりと
過去のスタイルを新たな建築材で作るモノマネなんかも作られた
残念ながらまだまだ試行錯誤中なんだけど、
まぁ次の発展のための準備期間って感じかな
参考リンク
建築探訪
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