モスクワ建築探訪(4) セントラルの建築を見に行こう!

ロシア・観光

プリヴェート!(こんにちは) chocolatです。
僻地駐在妻(へきち ちゅうざいづま)やってます。
今日は赤の広場やボリショイ劇場周辺の建築群を見に行きます。
オールドロシア、クラシシズム、ネオロシア、ロシアモダンの4様式を見れますよ。
ちょっと難しい説明も入るので、建築に興味がない人は写真だけ見てくださいね。

ポクローフスキー大聖堂(聖ワシーリー寺院) ポーストニク・ヤーコヴレフ、バルマ 1555-61年

赤の広場の南端にあるオールドロシア建築の大聖堂

1552年、時はモンゴル支配”タタールのくびき”の終盤、
ロシアのイヴァン雷帝は、キプチャク・ハン国から独立した、カザン・ハン国への遠征を決意!

神の加護を得るために、勝利の暁には未曾有の美しい大聖堂を建立すると神に誓う
まさに神頼み!

苦戦の末、カザンはロシアの手に落ち、めでたしめでたし

”タタールのくびき”の終焉のシンボルとして、また新たな国家体制の象徴として大聖堂を建設

当時、聖堂はクレムリン内に建築するのが通例だったんだけど、
イヴァン雷帝は血縁政治ではなく、民衆のための改革を行おうと、
民衆の領域である赤の広場に建てたんだよね

イヴァン雷帝っておっかないイメージがあるけど、いいとこあるじゃん

建築としての魅力はプロポーションと調和だね
類似の要素を、異なるサイズでいくつも反復させて、絶妙な効果を得る手法
ロシア建築では古くから使われているやり方

建立された大聖堂の美しさに惚れ込んだイヴァン雷帝は、
これ以上の傑作を作ることができないようにと
二人の建築家ポーストニク・ヤーコヴレフとバルマの両眼をくりぬいたという伝説があるけど、
うーん史実に反した都市伝説って説が主流らしい

専制皇帝の箔付けのためにあとから作られた創作と願いたい・・・

グム百貨店 A.パメラーンツェフ 1889-93年

グム百貨店の正面玄関 赤の広場側だよ

ネオロシアの建築様式で設計された商用建築だね

当時の最新技術を使った実用的な彫刻と、17世紀半ばの伝統的なモスクワ建築を融合している

国立歴史博物館 V.シエルヴード 1875-83年

ネオロシア中期の代表だね

オールドロシア様式の建築が実用的と認識して、
形だけでなく造りもオールドロシアに回帰して設計された

城のようなフォルムだね

オールドロシア様式のワシーリー寺院、
ネオロシア様式の国立歴史博物館
どちらもロシアの伝統様式を重んじているけど、建立時期は300年以上離れている

そんな両様式を赤の広場をはさんで対比できるのが興味深いよね

ホテル・メトロポール V.ヴァリコット 1899-1903年

ロシア・モダン建築の集大成だね

イギリス人建築家の V.ヴァリコットが社会主義革命直前に設計

当時モスクワ最大規模のホテルで、モスクワの「新バベルの塔」とも呼ばれたんだよ

それまでのロシア建築にほとんど使われてこなかったステンドグラスが使われたり、
ファサードにモザイク画が入ったり
外観の優美な美しさが協調されている

装飾はあるんだけど、ケバケバしくはなくて、
重厚さや落ち着きを保っていてセンスいいよね。

もちろん中もロビーとかは入れるんでちらっと見学しよう
内部もロシアモダンが活きているよ

エレベーターホール

ボリショイ劇場 O.ボヴェ、A.ミハーイロフ 1821-25年 / A.カヴォス 1855-56年改修

ボリショイ劇場

ロシア・クラシシズム後期の代表建築

ボリショイ劇場の前身となるペドロフスキー劇場が火事に・・・
アルバート通りに移転したしたんだけど、その劇場も1812年に火事に・・・
そして元の場所に戻って厳格なロシア・クラシシズム様式で1825年に建築された

ところが、この劇場も1853年にまたも火事で甚大な被害

焼け残った壁と正面の柱廊をベースに元の建築様式で再建
内部については、再建時に流行っていた折衷主義を取り入れ、
金塗の階段やビロードの幕など、折衷主義移行期の雰囲気でまとめられた

前の広場も伴って威風堂々たる姿だね

関連リンク

初心者向け ロシア建築の歴史

建築探訪

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